思ったことをはきだしたいな

基本的に顔のいい男がすきです。楽しいことも悲しいことも、色々考えすぎてパンクしそうになったら書きに来ます。

切手のないラブレター

 

拝啓

二宮 和也さま

 

二宮さん。二宮くん。

うん。二宮くんって書きます。いつも勝手に呼んでる呼び方で呼びます。にのみやくん。ねぇ、二宮くん。何から書いたらいいのか分からなくて涙が出てきました。今日この日、2回目の成人式を迎える大好きな人へ。あなたに届かなくてもいい想いがそれでも宙に舞って消えてしまわないように、ここに残しておくね。

 

二宮くん。

30代さいごの1年は、二宮くんにとってどんな1年だったかな。

私にとって39歳の二宮くんは、ずっと変わらず、大好きな二宮くんでした。私が大好きになった、どこまでもあたたかな私のアイドルでした。

 

1年前の今日、私は二宮くんにたくさんおめでとうを言いたいのに、逆にプレゼントを貰ってしまってばかみたいに泣いてたっけな。そのソロカバーアルバムをひっさげてお誕生日生配信までしてくれた二宮くんの優しさに、何度も何度もこの人を好きになって良かったなぁって思ったっけな。

 

「嵐を忘れない、嵐は止まってないと伝えるために、まずは欲しいと思ってくれている人に現物を届けたい」

「ちょっとでも嵐に還元できた」

「私がアルバムを出す意義はこれで伝わったんじゃないかと」

 

生配信とベイストで言っていた言葉。売り上げのため人気のため名声のためなんかじゃない、自分は「アイドル」で在り続けると、嵐はそこに存在し続けている、動き続けているとただそれを伝えたくてつくられたたからもの。欲しいと思っているファンにだけ、特別に届けられた大事な大事なたからもの。心から楽しそうに歌う声も、顔も、届けられたことに満足そうな優しい瞳も、どこまでもずっと、私が好きになった二宮くんでした。

「嵐」の二宮くんは嵐としての未来を多くは語らなかったし、あまり涙は見せなかったし、だれかが泣いていたらその隣でその涙をいとおしそうに見つめて笑っていたけれど、「嵐」からすこし離れた二宮くんはぽろぽろと未来を語るようになって、少し先でこんなことしたいなって楽しそうに笑っていて、涙を隠さなくなったように思います。嵐から少しだけ離れた二宮くんは嵐のみんなと一緒にいるときの二宮くんとはやっぱり少しだけ違って見えたけれど、どちらの二宮くんもだいすきで、たいせつで、いとおしかった。変わらず嵐が大好きな二宮くんが、いとおしかった。

嵐の活動休止は寂しくて、悲しくて、今でも涙が出ることがあるけれど、前を向いてきらきらと輝いていてくれる二宮くんに、嵐のことが大好きだと嵐はまだここにいると伝えてくれる二宮くんの温度に、私は何度も救われました。

 

「(芝居の仕事は)ひとつの駒として呼ばれているので、アイドル要素で足回り軽く、嵐としてもしお手伝いできるなら歌としてサポートできる部分はありませんかとか、番宣いくんであればどういう番組でもまず声かけて下さいとか。俳優さん1本、アーティストさん1本でやられている人には勝てないなと思いますね。(アイドルとして)色んなことをやれてるので精神的なバランスが取れているというのもあったので、動けるときは常にフルで動いて全力でやるっていうのは心がけています」

「本当に僕、スタッフ運と共演者運がめちゃくちゃいいんです。これ、俺は唯一自分で誇れることだと思っていて」

「時間をかければいいものができるのは普通じゃないですか。時間をかけずにちゃんとしたクオリティーのものを出すのが使命だと思っている。意味があるのかなとか楽しいのかなつらいだけなのかなと思っても、やり続けるっていうことを教えてもらった」

 

演技派、天才、自然体といった言葉を欲しいままにしている二宮くんは、それでも俳優さんではなく芯からのアイドルであって、天才という言葉では片付けられないほどに芯からの努力家であって、自由で飄々としている一方で柔らかく自然にまわりの人たちと現場の空気を本当に大切にするひとでした。初耳学を見ながら、ただただ静かに、強く、「間違ってなかった」と思いました。二宮くんを好きになれたこと、二宮くんを応援できていること、心から誇れると改めて感じました。

アイドルという職業の特性上、ステージの上以外の畑では「アイドルのくせに」という言葉はどこへいってもつきまといます。だけど二宮くんはそれを長い時間をかけて「アイドルなのに」という評価に変えてきた。そして二宮くん本人は「アイドルだから」できることがあるという考えをブレずにずっと持っている。アイドルだからこそ持っている謙虚さとプライド、それが滲む二宮くんの言葉が大好きで。確かな実力を持ち作品を背負う姿はきっと俳優1本でやってきている人にだって影響を与えるほどであるのに、唯一誇れるのはスタッフ運や共演者運ですと言い切り、そして根っからの「本業アイドル」の二宮くんは、呆れるほどに綺麗で、笑えるほどにまっすぐでした。そんな二宮くんの姿を、これからもずっと見ていたいと強く思いました。あなたとの出会いを誇りだと、何度だってそう思わせてくれてありがとうね。

 

「僕は本来「知らなくても済むなら、 知らないままでいた方がいい」と考えるタイプの人間なんですが、 現実世界においては残念ながらいまだ歴史は繰り返されていて、 たとえ辛くても、シンドくても、怖くても、気持ち悪くても、 知っておかないと正しく判断できないこともある。(略) 少なくとも僕は、知らないからこそ、事実をきちんと学んだ上で、 それなりの責任と覚悟をもって今回の役に臨んだつもりです」

「状況が整うまで待つこと自体は普通のことだけど、 そのときに俳優部が度外視されることがたまにあるんですよね。 僕はそれを貯金だと考えていて、「いつか使わせてもらうよ」 と思っています。こういう話をすると、 どの現場でも各部署のみなさんはハッとしてくれます。(略) 俳優部のチーフといったら主役じゃないですか。 ほかのキャストの方々がしんどそうだな、 納得していなさそうだなと思ったら、 そこはちゃんと主役が見てあげないと」

 

戦争のこと。災害のこと。苦しんできた人たちがいること。今もまだ終わっていないこと。私が実際に経験したわけではないそれらを、それでも目を背けてはならない事実を、私は何度だって二宮くんを通して見させてもらいました。もしかしたら二宮くんのことを好きでなければスルーしていたかもしれません。いつか自分に家族ができたとき、これを伝え続けようとは思わなかったかもしれません。二宮くんのことが好きだからというペラペラに感じるかもしれない理由で見た映画やドラマは沢山あるけれど、そこから学ぶものや気付くことが本当に本当にたくさんあるんだよ。そういうテーマを背負って、自らも「知らない」 からこそ学んで、自分が主役であることで伝えられることは何かを考えて役に向き合う二宮くんの存在に、きっと私は救われてきたのだと思います。

そしてどんなにつらい現場でもいつだって共演者の皆さんから「 楽しかった」「いい現場だった」という声が聞こえるその理由も、改めて分かった気がしました。二宮くんは中心に立ってみんなをまとめるタイプじゃないかもしれないけれど、二宮くんがいるから自然と周りがまとまっていくのだなぁと勝手にそう思っています。熱く芝居論を語るわけじゃないけれど、譲れないものやここはこういうものを伝えたいというこだわりや熱い気持ちは絶対にあって、それでいて自分勝手には絶対に突き進まず、ほかの役者の方やスタッフさんの動きを見ながらしっかりと説得力を持たせて意見を出して、座長として皆が気持ちよく作品に向き合えるような空気をつくって いく。決して簡単なことじゃないと思う。二宮くんは自分自身への評価もだけれど作品に対する評価をすごく大切にするし、番宣のときは作品自体にとてもとても誇りを持って宣伝してくれていて、だから私は余計に二宮くんが出演した作品を好きだと思うんだよ。評価されて欲しいな、たくさんの人に見て欲しいなって思うんだよ。映画って、ドラマって素晴らしいなって気付けるんだよ。

たくさんの「大切」に気付かせてくれてありがとうね。二宮くんの類まれなるお芝居の才能も、そこに費やした途方もない努力も、豊かな感受性も、チームの人と調和していくあたたかな人間性も、どうかどうかこれからもエンターテイメントの世界で惜しみなく輝いていますように。

 

「自分に教える責任がある後輩は、ちゃんと育てていかなきゃって思うよ。頑張ってる子や吸収しようとしてる子の場合は、どんな能力を持っているのかを見極めて、そこにアプローチしていけたらと思ってる」

「(後輩たちに)責任と自信というものを持たせないなって思った。後輩で志半ばでやめていった子たちに、もう辞めなくても出来るよっていうのは伝わればいいなと思っていました」

「僕らの仕事は誰かが描いた世界を作っていくものだけれど、受ける一方になったら破裂しちゃうかもしれない。この世界を夢見て訪れる子たちが、少しでも、自由で楽しそうだなって思える場所になれたらいいなというのはありました。(略)この世界に身を置くならば、自由にやっていいと言われたときに、面白い発想ができる体操はしておいたほうがいい。自分にとって一番メリットを得られる場所を客観的に見られる目を、後輩たちが持てるようになったらいいなと思っています」

 

グループの活動が休止してから特に、二宮くんの口から後輩たちに向けた言葉をたくさん聞くようになりました。それは私が知らない二宮くんであって、それでもやっぱり私が大好きな二宮くんでした。

グループでは年下のほうで弟みたいに可愛がられているイメージが強いし、仲のいい人たちも年上の人が多いからやっぱり可愛がられている印象が強かったから、二宮くんが「先輩」としてそこに立つ姿を見るのは新鮮で、くすぐったくて、ぎゅっと胸を掴まれるようないとおしさがありました。二宮くんの先輩らしい姿が新鮮に映ると同時に、ひとりでの活動が増えるというこのタイミングで「後輩のために何ができるか」を考えて活動を始めた二宮くんを見て、あぁ、すごく二宮くんらしいなと思いました。二宮くんは自分のことを後輩として可愛がってくれた先輩のことが大好きで、事務所のことも大好きだっていっぱいいっぱい伝えてくれたから、新鮮に映れど、ストンと納得もできました。そしてなによりそういう二宮くんのことが好きだなぁと思いました。私の知らない二宮くんは、やっぱり私の好きな二宮くんにほかならなかった。

どんな道を選んでも、間違いではないと思っています。永遠ではないことも分かっています。自分のやりたいことをやりたいようにやれる世界であってほしいと思っています。私自身それを痛感する1年でもあったけれど、だけど、だからこそ、「続けること」「やりたいことをやれるように自ら道を切り開くこと」をほかの誰にやらせるでもなく自分が先陣切って、誰もやったことのない場所で“可能性”を提示し続けている二宮くんに、私は「永遠」を見てしまうし「夢」を見てしまいました。そんなのはあまりにかっこよくて。

誰にだってできることじゃない。これまで積み重ねてきた信頼と実績と、確かな計画力があったから、二宮くんだからできたことだって思っています。二宮くんにしかできない方法で「道」を示してくれてありがとう。イチ後輩のファンとして、先輩に二宮くんがいてくれたことに大きな大きな感謝を。ありがとう。

 

「僕はどっちかっていうともう、対人が主体の人生として生き長らえているので、自分の主観で自分が主役の人生はもう多分とっくのとうに終わっていて、もう人様にとか色んな周りの人にこう、楽しんでもらうという人生にフェーズがなっているので。基本的にこの人生は人様に楽しんでもらうものになっているっていう考えになってるから俺は。それをどう自分のエンタメとかクリエイティビティというものに繋げていくかっていうだけの話で。もうそれで十分だと思っていて」

 

ベイストの言葉。胸がきゅっとなりました。だってこんなのは、あんまりにも優しくて、儚い。

悲しくて、つらくて、心がぐちゃぐちゃで涙さえでないとき、二宮くんの声を聴いて自然に涙を流せた夜がありました。折れそうになって、笑うことに疲れて、俯いてふさぎ込んでしまいそうになったとき、二宮くんの笑顔を見て笑えた帰り道がありました。何度も何度も勝手に、二宮くんに救われました。何度も何度もそうやって、二宮くんを消費して私が歩く道が少しだけ歩きやすくなりました。私の人生においての主役は紛れもなく私で、二宮くんはそこに確かな彩りを与えてくれていて、そんなことを二宮くん自身が「自覚」して生きていてくれることに、涙が止まらなくなりました。

ねぇ、ありがとうね。二宮くんは私のことなんて知らなくていいし、私のことを救っていることなんて「自覚」はしなくていいけれど、あなたが誰かが楽しんでくれるようにと生きたその時間に、あなたという存在に、ただただ飽きることなくありがとうって言っていたい。ありがとうね。ありがとう。私は二宮くんのようにはなれないから私の人生の主役は私だと思って生きているけれど、二宮くんがいなければ知らない色があった。知らない音があった。知らない感情が、知らない景色があったことだけは本当で、二宮くんがいなくてもきっと生きられた私は、二宮くんがいなければこんなに笑顔では生きていられなかったんだよ。だからね、ありがとうって言わせてね。あなたがもう意識することはなくなってしまった「あなたが主役の人生」も、どうかどうか輝いていますように。「誰かのために」生きる優しいあなたに届きすぎた声が、あなた自身を縛り付けてしまいませんように。

 

二宮くん。

この1年、私は二宮くんの優しさや強さに何度もこころがあったかくなって、何度も笑顔になって、何度も二宮くんが居るエンタメの世界を愛し続けようと強く思いました。

二宮くん。

自分の努力や今の自分にできることに誇りを持ち、自分が参加した作品に確かな自信とプライドを持っているところが好きです。

だからこそ褒め言葉に対して謙遜せず、心からの感謝を述べるところが好きです。

「天才」という言葉が誰よりも似合うところが好きです。

「努力」の存在をあなた自身が見せるものではないと思っているから、完成された綺麗な部分だけがあまりにも輝いてそこにあるから、だからこそ「天才」という言葉を背負って堂々とエンタメの世界に立つ、そのある種人間離れした美しさが好きです。

決して天才という言葉だけでは片付けられない、できなくて怒られて泣いてそれでもしがみついて歯をくいしばってきた綺麗なだけじゃない経験をたくさんしてきていて、そこで自分が言ってもらった言葉をずっと大事にしている人間臭さが好きです。

そして二宮くん、あなたは自分にはあまり優しくしないくせに、まわりの人にどこまでも優しいから好きです。

自分のことはあまり話そうとしないけれど、大好きな人たちのことは惜しみなく楽しそうに教えてくれるところが好きです。

あなた自身に優しい自覚はなくても、少なくとも私には““そう””見えている、それだけで十分に好きです。

自分の意見を貫くよりどうすれば円滑にみんなが良い気持ちで仕事ができるのかを考えて立ち回れる器用なところが好きです。

もう染みついたように「誰かのために」生きている二宮くんが好きで、それを自覚していて時々何が楽しいんだろうなんて思っちゃう二宮くんが好きで、そしてちょっとだけ、切ないです。

自分がつけられた傷を痛がるより誰かを傷つけることで血を流すような繊細さが、不器用さが、どうしようもないなと思うけれど、だから二宮くんのことが好きです。

そうやって自分の意見より周りの調和を大事にするけれど、それでも「やりたい」の気持ちだけはずっと持ち続けるところが好きです。

やるときは決して人任せにせず、自分で考え、自分でプレゼンをして、責任の所在を全部自分に置いて、自ら道を切り開いて「やりたい」を形にしていく姿が頼もしく、かっこよくて、誇らしいです。「やりたい」の奥底に「後輩たちに残せるものはなにか」という考えを常に持っている、果てしない愛情が大好きです。

そして後輩を育てようがお芝居の仕事に注力しようが、いつだってアイドルとして全力で生きているところが好きです。アイドルだから届けられるものがある、ステージの上の自分が一番かっこよくて輝いていると知ってくれているところが、好きです。大好きです。そういう自分を何か形にして届けられたらと考えてくれているところが、泣きたいくらいに大好きです。

 

二宮くん。二宮くん。

二宮くんが物理的に「嵐」から離れて、たくさんの時間が過ぎていきました。4人に囲まれて笑う二宮くんが更新されなくなって、いくつも季節を巡りました。

二宮くんは、40歳になったんだね。

二宮くんが40歳なのも、もうあの年末から2年半も経つのも信じられなくて、そのくらい驚くほどに早い時の流れの中で、それでも私は変わらない二宮くんを愛して、今までに見たことのない二宮くんを愛しました。私の知っている二宮くんも、私の知らない二宮くんも、せいいっぱい全部、大好きでした。

二宮くんが「アイドル」でいてくれること。

二宮くんが「嵐」でいてくれること。

当たり前じゃないそれを、永遠じゃないそれを、あなたに望むのは私の我儘だと分かっているけれど、どうしたって泣きたいくらいにアイドルの二宮くんが好きです。嵐の二宮くんが大好きです。だけどそれは絶対なんかじゃなくて、二宮くんに強制するものでも絶対になくて、本当の本当に1番に願うのは、いつだってあなたが幸せに笑っていることです。自分のやりたいことを伸び伸びとやって、きらきらと輝いていることです。だから二宮くんが終わらせようと思ったそのとき、きっと私は泣くだろうけれど、精一杯寄り添っていたいです。そしてその最後の1秒までずっとずっと、精一杯アイドルのあなたを好きでいたいです。最後の1秒が終わったその瞬間も、あなたが前を向いて笑っていられるといいなと思います。役者になっても、モデルになっても、お笑い芸人になっても、裏方の人になっても、ふつうの人になってもずっと、二宮くんは私の人生において「大好きになった人」だから、それだけは永遠だから。こんなに素敵な永遠をくれてありがとう。

とても、とても伝えきれません。何度言ってもどんな言葉を尽くしても足りません。ありがとう。ありがとうね。二宮くんのことを好きになれて良かった。この気持ちひとつで、私の世界はとてもとても優しく彩られているんだよ。私の毎日は二宮くんがいなくてもきっと成り立ってしまうけれど、だけど二宮くんのことが好きだから、二宮くんのことが好きな自分でいられるから私の見る景色には彩やかな色がついているし、笑顔でいられる時間があるし、つらいこと泣きたいことがあってもへこたれずに歩いてこれたその理由のひとつに、絶対に二宮くんはいるんだよ。右も左も分からず辞めたいと思いながらもアイドルとして嵐として1歩を踏み出した10代の葛藤も、わけも分からぬままそれでもトップへの階段をかけ上って5人肩組んでガムシャラに走ってきた20代の輝きも、重圧も期待も5人で背負って前を向いて紛れもないトップとして1歩1歩確かに歩んできた30代の覚悟も、その全部が涙が出るほどまぶしいです。その節目節目に、こうしてお祝いをさせて貰えることが、なによりも嬉しい。たからものです。30代の二宮くん、たくさんの、たくさんの夢を見せてくれてありがとう。

私が祈ったって願ったってなにも変わらないことは分かっているけれど、今日、6月17日、二宮くんが生まれた大切な大切なこの日くらい、二宮くんの目にはきれいなものだけが映るといいなと、ばかみたいにずっとそんなことを考えています。誕生日なんて、と言っていたあなたが困るくらい、戸惑うくらい、両手に抱えきれないくらいの愛を感じて欲しいなと思います。大好きな二宮くんにとって、この1年が幸せなものでありますようにと願います。

悲しかったら泣けるといいなと思います。楽しかったら笑えるといいなと思います。朝、目覚ましより早く起きられたらラッキーだと思って、天気が良かったら空の青さをきれいだと思って、雨が降ったら上から下に落ちるしずくの美しさに目を細めて、道端に咲いた花に気付いて、桜の花を見上げて春を感じて、セミの声に暑さを感じて、散ったイチョウの黄色を眺めて、吐いた息の白さに身を震わせて、美味しいごはんを美味しいと思えて、眠れるときにゆっくりと眠れる毎日であるといいなと思います。二宮くんの瞳にうつる世界が、どうかあたたかな色で溢れているようにと思います。

あなたが悲しくなる色があるならば、それ以上にやさしい色がその色を少しでも薄めてくれるといいなと思います。あなたを傷つける音があるならば、それ以上に溢れるあったかい言葉が紡ぐ音がその音を少しでもかき消してくれるといいなと思います。どうか幸せに、たくさん笑っていて欲しいと思います。

 

ただ祈るように、私は今日もあなたのことが大好きです。

 

二宮くん。

お誕生日おめでとうございます。

 

 

40歳の二宮くんの世界が、抱えきれないほどの幸せと笑顔であふれていますように!